合氣上げについて

武田時宗先生は、常に、「一刀流を稽古しなさい。一刀流が遣えなければ決して大東流は遣えない。」と仰られていました。

何故か?

それは、大東流は一刀流の先にあるからです。

基本的に理合が一刀流そのままで、さらに身体の遣いも腰から下は膝行であるものの、腰から上はまさに一刀流です。他の剣術の流では駄目なのです。あくまでも一刀流です。

そして、大東流の根幹である 合氣上げの遣い は、一刀流切落の遣いと表裏一体であり、一刀流の術に於いて多用しています。

 

明治維新により廃刀令にて刀が無くなったことにより、一刀流の修行も自ずと難しくなったことで、切落の遣いの稽古が不可能となりました。武田惣角先生は生活のために大東流を教え、技自体を切り売りしていたので何も問題は無かったでしょうが、武田時宗先生が大東流を普及することを考えたことにより、切落の遣いの代わりとなる稽古をせざるを得なくなったのでしょう。そして時宗先生はそれを 合氣上げ と銘打ち、世に公表しました。

しかし、その合氣上げの遣いをどんなに稽古したとしても、大東流の真の術は遣えるようになりません。一刀流を修行しない限り、合氣上げの遣いが出来る身体にはならないからです。

因みに、一般的に知られている合氣上げは、相手に掴まれた自分の手首(両手首)を上へ上げて相手を崩す、と捉えられ、行われていますが、真の合氣上げは、自分が手を上げるものではありません。