師 武田時宗先生の大誤算

武田時宗先生門下を謳っている指導者や道場に於いて、世に公表している術及び技はそれぞれ微妙に異なっていますが、共通しています。それは手の遣いが 横 であるということです。それがために動きも大きく、力に頼るものとなっています。

その原因は、時宗先生が大東流を普及しようとしたことにあります。

大東流の真の術及び技が遣えるようになるには、合氣上げが遣えなければならず、それには、一刀流を身に付ける必要があります。

しかしながら、時代は剣主体から素手主体に変わっており、門下生は一刀流を修行していないので、合氣上げが出来ない状態です。普及するには、門下生が合氣上げが出来なくても、大東流の技を教えなければなりません。そこで時宗先生は苦肉の策として、いや、止むを得ず、真の合氣上げを遣った術及び技ではなく、横の手の遣いで行う、そして危なくない、所謂現在の合気道のようなものを教え、時宗先生の教えを守って一刀流の修行を行い、合氣上げが遣えるようになった門下生のみに、真の術及び技を教えようと考えたのでしょう。

しかし門下生は、時宗先生より教わったのだからそれが真の術及び技だと信じ込み、誰も疑問に思うことなく、そのまま現在まで来てしまい、結果的に、時宗先生の意思とは全く違う方向へ独り歩きしてしまって、大東流が崩れてしまいました。

時宗先生は、相当悩まれていたのではないかと思います。私なんぞに個人的に、秘密裏に教えたのは、その罪滅ぼしの意味が大部分と、何とか真の大東流を残したいという気持ちからではないか、と思えてなりません。

時宗先生は常に仰られていました。「誰か一人でも真の大東流が伝わればそれで良い。分かる人だけが分かればそれで良い。」と。時宗先生に技の名前をお聞きした時、「技の名前などどうでもいいんです。正しく遣えるかどうかが大切なんです。」との言葉が笑顔と共に返って来ましたが、今振り返ってみると、その言葉に時宗先生の思いが全て込められていたように感じてなりません。

今、時宗先生は空の上で、大東流を普及しようとしたこと、また、合氣上げを世に公表したことを

「大きな大きな誤算だった。」

と後悔しておられると思います。