武田惣角先生の罪

私は武田時宗先生から大東流を伝えられましたが、宗家でも何でもなく、ただの一修行者ですので、敢えて書きます。

大東流は、武田惣角先生により世に知れました。そしてその大東流は御式内で、西郷頼母より伝えられたとされていますが、その伝えられた意味は、武田惣角先生の今後の生活のためです。要は、生活をしていくためにお金を稼ぐ手段として、御式内を伝えたのです。その時期は江戸幕府も会津藩も消滅状態であり、それが故に御式内を秘密にしておいても意味を成しません。だから西郷頼母は武田惣角先生に、生活の糧として御式内を伝えたのです。

武田惣角先生はその御式内を、大東流 と銘打ちました。

武田惣角先生は、門下生に大東流を教える際、一手幾らという形を取っていました。お金をお稼ぐためです。そして、お金を稼ぐためには商品を多くする必要があります。免許皆伝や教授代理等の肩書も、高いお金が取れる良い商品だったことでしょう。大東流は御式内ですから、技の名前はもちろんのこと伝書等もあるはずがありませんので、誰にも、何も知られていない分からない状態です。だから、武田惣角先生が創作しても分かりません。何でもありです。そこで武田惣角先生はそれぞれ一手として商品化し、大量生産し、一手幾らという手法を取ったのでしょう。それらが合氣之術や合氣二刀剣や秘伝奥儀之事や秘伝御信用之手や解釈総伝之事や皆伝之事にある術でしょう。

だからといって、その一手を独自に遣っても意味は成しません。その一手は、ある状況状態でしか通用しないものです。本来は繋がっているものを、武田惣角先生は切り売りしてしまったのです。

そんな武田惣角先生も家を護るために、家督である時宗先生だけには、真の大東流を伝えました。武田惣角先生存命の時代は、まだ、人の命より家の存続を尊重していましたから。それがために武田惣角先生は、如何なる門下生にも真の大東流は教えていません。教えたらその門下生に命を狙われ武田家を潰すことになりますので、教える訳がありません。

それが故に、現在の視点で武田惣角先生を見ると、武田惣角先生の罪は非常に重いものがあります。