独り言 弍

【其之弍之壱】

以前からなのですが、古流の修行を始めるに於いて、どこの道場、如何なる師、を選べば良いか、非常に難しくなっています。

ネットにより真と偽がごちゃ混ぜになり、偽であっても声が大きければ真になってしまっている状況でもあります。

そこで、偽の道場、偽の師を選ばないよう、気を付ける点を挙げました。

ご参考にして下さい。

・指定の道衣を購入させる道場(道衣にワッペンを付けさせたり刺繍をさせる道場含)。

・書籍や動画等を購入させる道場。

・門下生と異なる道衣を着ている師。

以上の3つのことをしている道場や師は、お金儲けが目的です。

真の道場、真の師は、このようなことは全く意味のないことであり、門下生に良く無いため、行いません。

道衣は何でも良いので、門下生に自分で武道具店等で購入させます。本来は着物を着用するのが最も良いのですが。

道場では皆同じ流を修行しておりお互い分かっているので、ワッペンや刺繍など必要ありません。演武会等に参加するにしても、流名のアナウンスが入りますので必要ありません。

書籍や動画等では真の術は伝わりませんので、無駄なお金は使わせませんし、書籍や動画を観る時間があるのであれば、稽古の時間に充てさせます。

師自身が ”一修行者” と自覚していれば、門下生と同じ道衣を着ます。

偽の道場、偽の師を選ばないよう、十分注意して下さい。

【其之弍之弍】

古流は武術であり護身術である以上、強くなければなりません。

では、その 強さ とは?

生き残る

ということです。

敵(相手)に勝つ必要はありません。

生き残れば良いんです。

負けなければ良いんです。

この 生き残る という言葉の意味を、様々な角度から見極めて下さい。

私は、体力が奪われる術及び技は、一切信用していません。

真の術というのは、非常に 省エネ です。

【其之弍之参】

古流は

見て覚える

というのが必須なのですが、この 見て覚える ということがどういうことなのか分からなくなっているのが現状です。

見て覚える ということから、表面的に見える師の身体の遣いを真似るだけで、

・師の身体の遣いと自分の身体の遣いと、どこが違うのか?

・何故、師の身体の遣いと自分の身体の遣いが違うのか?

・どうしたら師の身体の遣いに近づけるか?

等にまで考えが及ばないようです。

これはまさしく学校教育の弊害としか言いようがありません。

学校でこのような考え方は教わりませんから。

結局、師の真似をすれば師のような身体の遣いが出来るようになるだろうと思ってしまい、ただ真似るだけになってしまっています。

そして、師にも原因があります。

師自体が見て覚えるという稽古をしていないため、門下生に見て覚えさせる方法を取っていません。

出来るわけがありません。

これでは絶対に上達はしません。

見て覚える ということ。

師の足跡を最初から自分の身体で辿り続ける、ということです。

【其之弍之四】

独り言その壱の七で

『正座姿を見れば、その人の力量が分かってしまう。』

と書きました。

日本人は正座が出来て当たり前、という先入観からか、正座というものを安易に考えているようなのですが、正座によっては足首の関節、膝の関節、股関節、骨盤等を壊してしまいます。

そのため、身体を壊さないためにも、正しい正座を身に付けなければなりません。

特に大東流では、正座の状態で術を遣いますから、余計正しい正座を身に付ける必要があります。

正座が微妙に狂っただけで、術が全く効かなくなります。

だから、『正座姿を見れば、その人の力量が分かってしまう。』ということなのです。

皆さんは、正座の稽古を行なっていますか?

【其之弍之伍】

先日、友人の弁護士の方がこんなことを言いました。

「尾坂さんと話していていつも思うのですが、” 隙あり ”とそこを突くと次の瞬間『えっ?!』となってそれ以上そこを突くことが出来なくなってしまうんです。本当に不思議です。」

と。

修行のお陰でしょうか。

【其之弍之六】

剣術の手の内。

小指が要です。

小指の遣いが全てです。

が、学校教育の弊害からかクソ握りが身体に染み込み、小指の遣いが出来なくなっているのが現状です。

自分では出来ているつもりでいるのですが、全く遣えていません。

この小指の遣いが正しく出来なければ、正しい一刀流の刀法、はたまた正しい大東流の術は遣えません。

【其之弍之七】

剣を振る。

素振り。

この”振る” ”振り”という言葉が曲者です。

この振るという言葉の先入観から、肩や腕を使って振ってしまいます。

剣は”振る”ものではありません。

ただ移動させるだけで良いのです。

移動させることで、刀の特性を最大限に活かすことが可能となります。

刀が勝手に斬ってくれる、という遣いが可能となります。

もちろん、正しい手の内でのことですが。

【其之弍之八】

剣術の手の内ということで

龍の口

という言葉があり、その画像等がネット上に多く挙げられています。

でも、でもです。

その画像等を真似ても剣術の手の内は身に付きません。

龍の口というのは、あくまでも結果でしかありません。

「剣術の手の内は、龍の口に似ています・・・。」

ということなんです。

手の内を身に付けるためには、師に嫌というほどバッコンバッコン打たれ外され続けるしか方法はありません。

そして徐々に身に付き、身体に染み込んでいきます。

龍の口の画像等を真似るのは、時間の無駄です。

【其之弍之九】

現在、ハンドガン(拳銃)は両手で撃つのが当たり前になっていますが、昔はリボルバーでもオートマチックでも、片手で撃つものだったんです。

そしてグリップの握り方は、古流の手の内と同じだったんです。

昔はオートマチックの弾倉はシングルスタックが通常でしたので、グリップが薄めのため片手で容易に握れ、発砲の際の衝撃も抑えられましたが、発砲出来る弾数が少ないという欠点からダブルスタックが主流となり、それがためにグリップが厚くなり片手で衝撃を抑えることが出来なくなり、両手で持つようになりました。

はるか昔、仕事の関係でアメリカ等に行った際は必ずシューティングレンジに行っていました。

初めてシューティングレンジに行った時、若いインストラクターよりグリップの握り方等を教わっていたのですが、離れて見ていた古参のインストラクターがやって来て、「君は以前誰かに教わったことがあるのかい?」と尋ねて来たので無いことを告げると、その古参のインストラクター、COLTの1911を持って来て、「撃ってみろ!」と言ったのです。1911はシングルスタックマガジンですがカートリッジが45ACPなので無理だと言ったのですが、古参のインストラクターは「君なら撃てるよ!」と言ったのです。

そこで私は古流の手の内のまま、1911を発砲させました。

古参のインストラクター、「君には何も教えることはないよ!そのグリップの握り方は、昔、軍やFBIで教えていたものと全く同じだよ。でもその握り方、どこで教わったんだい?」と訊ねて来たので、「教わってはいないが、剣術の手の内です。」と答えると、古参のインストラクター、ビックリされていました。そして「今はマニュアルセーフティの1911は危険で扱いにくいと嫌われているが、正しい握り方を覚えればこんなに安全で扱いやすいハンドガンはないよ。」と言ってその場から離れて行きました。それ以来、そのシューティングレンジに訪れた際は、フリーで撃たせてくれました。

手の内のことでふと思い出しました。

【其之弍之拾】

中高一本拳、というものが存在し、ネット上には多くの画像や握り方が紹介されています。

実はこの中高一本拳、剣術の手の内なのです。

剣術の手の内が身に付けば、握り方を稽古しなくとも自ずと出来ます。

親指と人差し指を折り畳むだけですから。

【其之弍之拾壱】

合氣というものは、一刀流を修行しないと理解は出来ません。

合氣という言葉から理解しようとしても、間違った答えを導き出してしまうだけです。

【其之弍之拾弍】

秘伝とは何か?

敢えて言えば、

稽古方法

です。

術や技ではありません。

稽古方法

です。

術が遣える身体になるための

稽古方法

です。

そのため、真の術を身に付けたければ、正しい稽古方法を身に付けている師の元で修行することです。

【其之弍之拾参】

術は、その術を稽古しても、決して上達はしません。

それは、このHPの中で何度も書いていますが、

術が遣える身体にならなければ真の術は遣えない

からです。

どんなに術の稽古をしても、真の術が遣える身体にはなりませんし、上達もしません。

無駄な時間を過ごすだけです。

上達するには、術が遣える身体になるのが最も早道です。

そしてこの術が遣える身体は、正しい稽古(その弐の十弍の稽古方法)を正しい順序で行うことでしか成り得ません。

【其之弍之拾四】

以前、門下生の一人がこんなことを言っていました。

「今まで何ヶ所かの大東流に関わったのですが、そのどれも、段位が高い人ほど膝を壊して正座も膝行も出来ない状態になっているんです。私も膝を壊しかけました。でもここの稽古に通ってよく分かりました。今まで間違った稽古していたんだと。間違った稽古をすることの恐ろしさが身に沁みて分かりました。正しい稽古をすれば膝だけでなく身体を壊すことはないんですね!」

と。

【其之弍之拾伍】

古流の修行は、例え同じ師に付き、同じ道場にいたとしても、修行者本人の心持ちで行き着く先が全く変わってしまいます。

それは本当に正直に表れます。

恐ろしいくらいに。

【其之弍之拾六】

敵の攻撃に、“両手襟絞”というものがあります。

有り得ません。

両手で襟を絞めるというのは、両手が塞がってしまうということです。

でも相手の手はフリーです。

幾らでも反撃が出来るということです。

攻撃している自分の命を落とすリスクが非常に大きいということです。

あなたなら、そのような危険な攻撃をしますか?

あの両手で襟を締めるという攻撃は、本来は、大刀による突きという攻撃です。

伝えられた技は鵜呑みにすることなく、術だけでなく敵の攻撃についても十分検証する必要があります。

【其之弍之拾七】

大東流の術は、本文でも書きましたが、”合氣上げ” と ”切落” が全てです。

が、この合氣上げと切落を間違って捉え身に付けたら、真の大東流の術は絶対に遣えません。

このことは、一刀流が遣えるようになることで、自ずと理解出来ます。

理解出来ないのは、身体が理解していない、ということです。

どんなに頭で理解しようとしても理解出来ないでしょう。

【其之弍之拾八】

大東流の動画の見ていると、相手(敵)が手首を掴みに来た時、「掴んで下さい。」とばかりに手を前へ出しているのをよく見ます。

敵の立場に立って考えてみて下さい。

自分が命を賭けて敵の手首を掴みに行った時、その敵が手を前に出してきたら、それでもその手首を掴みに行きますか?

私なら、『何かある!』として、すぐに攻撃方法を変えます。

手を前へ出す理由はただ一つ・・・。

その答えはお分かりになりますよね!

【其之弍之拾九】

大東流は、一刀流の先にあります。

そのため、一刀流を修行しないと理解出来ないことが非常に多くあります。

【其之弍之弍拾】

古流で伝えられていることで、あらゆる面に於いて、

『それって本当?』

ということが、非常に多く存在します。

結局のところ、何が真実で何が偽かは、自分自身で答えを見付けるしか方法はありません。

それも、頭ではなく、身体でです。

伝えられたことを鵜呑みにすると本当に危険です。

時間を無駄に過ごすことになってしまいますよ!

【其之弍之弍拾壱】

古流というのは、その何処かにほんの少しでも

『普及』

であるとか

『保存』、『組織化』

というような思いがあると、

・・・真は伝わらない・・・

ということを改めて痛感しています。

【其之弍之弍拾弍】

今皆さんが稽古されている膝行は、本当に正しい膝行ですか?

ほんの少しでも正しくない膝行が身体に染み込んでしまうと、絶対に真の術は遣えません。

【其之弍之弍拾参】

正しい身体の遣いというのは、間違った身体の遣いを身体から抜いていき、最後に残ったものです。

身体も頭も正しい身体の遣いを知りませんから、最初からどんなに正しい身体の遣いを身に付けようとしいても無駄なのです。

そのため、何度も何度も何度も間違い、師に修正して頂き、間違った身体の遣いを身体から抜いていかなければなりません。

正しい身体の遣いを身に付けるには、非常に時間が掛かります。

が、一度正しい身体の遣いが身に付けば、それは絶対に身体から抜けることはありませんし、他人に盗まれることもありません。

自分だけの財産となります。

【其之弍之弍拾四】

今までに何度も書いて来ていますが、皆さんは師より正しい正座を教わっていますか?そして身に付いていますか?

大東流では居捕と半座半立に於ける術がありますので、正しい正座を身に付けることがは非常に重要です。

そして正しい正座を身に付けない限り、真の術は絶対に遣えません。

そのため、師より正しい正座を教わり、稽古することが物凄く重要なんです。

ただ残念なことに、正しい正座を身に付けていない師からどんなに術及び技を教わり稽古したところで、真の大東流は絶対に伝わりません。

【其之弍之弍拾伍】

相手(敵)が手首や襟を捕りに(掴みに)来る際、それは、自分の命を賭けて、また反撃を想定して捕に来る、ということを絶対に忘れてはいけないところです。

【其之弍之弍拾伍】

大東流に於いて、正座は生き死にに影響を及ぼします。

その代表が居捕一本捕です。

大袈裟なことではありません。

そのため、正しい正座を身に付けておかなければなりません。

【其之弍之弍拾六】

正座に於いて、手を膝近くの太腿の上に置いているのをよく見かけます。

が、姿勢が正しければ、この手を膝近くの太腿の上に置くことは不可能です。

正しい姿勢では無いことを表している良い例です。

さらにこの手を膝近くの太腿の上に置いていると、絶対に真の術は遣えません。

姿勢が正しければ、手を置く場所はとある一点しかありません。

大東流に於いて正座は要中の要なのです。

【其之弍之弍拾七】

先日の稽古で門下生の一人がこんなことを言っていました。

「最近歩いていると、周りの人が氣を出しているのが分かるようになったんです。そんな中、ある老夫婦が前から歩いて来たんですが、その老夫婦お二人共全く氣が感じられないんです。氣が感じられないって恐ろしいですね。」

と。

この門下生、確実に上達していますね。

嬉しい限りです。

【其之弍之弍十八】

剣術の手の内。

掌の中でたった1mm狂っただけで刃筋が通らなくなり、切落も出来なくなります。

そしてその狂いは即大東流の術に直結します。

そのため大東流に於いては、正しい手の内を身体に染み込ませることが大変重要になってきます。

【其之弍之弍十九】

以前はどこかで大東流が演武すると、一般の方が撮影したその動画が幾つも、当日、もしくは翌日には動画サイトにUPされていましたが、今ではそのようなことは無くなりました。

一般の方が演武を見ても、魅力を感じなくなったのでしょう。

ちゃんと見抜いているんですね。

一般の方の目は恐ろしいものです。

【其之弍之参拾】

私の所で稽古しておられる方々は日本各地から来られており、その方々全て他の様々な大東流の道場では納得がいかず、

『最後の最後で今度駄目なら大東流を辞めよう。』

と思ってこられた方々ばかりです。

不思議ですが。

で、ハマってしまって抜けられなくなっています。

稽古に来るのにスケジュールを調整し、お金と時間を掛けてやって来ています。

そのため皆真剣です。

自分の家で一人稽古を行い、稽古に来て散々打ちのめされて、でもまた一人稽古を続けて稽古にやって来ます。

感心してしまう程です。

このくらいでないと、続かないのですが。

【其之弍之参拾壱】

大東流を修行していて膝等を壊している人が非常に多くいるようです。

でもよく考えてみて下さい。

大東流は基本的に護身術です。

その護身術を修行して身体を壊すっておかしいと思いませんか?

もちろん捻挫等はしょっちゅうです。

が、正しい稽古をしていれば、身体を壊すことは有り得ません。

身体を壊すのは間違った身体の遣いの稽古をしているからです。

間違った身体の遣いをしているということは、その指導者が正しい身体の遣いを知らないということです。

その指導者の指導者も正しい身体の遣いを知らないということです。

正しい身体の遣いが身体に身に付かないと、絶対に正しい術は遣えません。