師 武田時宗先生との事

師 武田時宗先生と私との事は、誰一人として知りません。時宗先生より『一切他言無用』のご指示がありましたので、記録に残すこと無く、秘密裏に稽古を付けて戴きました。

が、時宗先生が亡くなられて二十年以上経ち、さらに冗談のような話ですが、昨年(平成27年)の命日の前日夢の中に時宗先生が出て来られて、『もう私とあなたとの事を話しても構いませんよ!一切他言無用を解きますよ!』と仰いましたので、実際に話をしても何も問題は起きないだろうと考え、後輩達には昨年の暮れにすべて話しました。そして後輩達に話した以上隠すことはありませんので、この機に書けることだけ書き示すことにしました。

私が時宗先生と初めてお会いしたのは、二十歳を超えてすぐの頃でした。

子供の頃、地元警察の柔道教室に通い始めて以来十八歳を過ぎる頃まで、ずっと柔道を行ってきました。講道館三段まで戴きましたが、ある時講道館へ稽古に行ったところ、白帯の外国人から乱捕の相手を頼まれ行ったのですが、パワーに振り回されて何も出来ない状態でした。そんなことが度々続き、今まで『柔よく剛を制する』柔道を目指していたものの、自分が行ってきた柔道は全く『柔よく剛を制する』柔道ではないことを、嫌という程思い知らされました。そこで柔道を辞め、本当の意味での『柔よく剛を制する』武術を探し始めました。

約二年間、様々な武道、様々な道場を見学して回りました。どれだけ見学して回ったか分かりません。でも納得のいくものが見つかりません。そんな折、合気道の源流として、大東流合氣武道なるものを知りました。そこでこの大東流について調べ始め、余計な力を一切使わずに、でも敵も気が付かないうちに崩し詰めてしまう術だということが分かりました。そして、大東流の看板を掲げている道場を見学して回りました。が、ある道場の指導者の方は力で相手を上から押し潰すような感じでしたし、また別の道場の指導者の方は有り得ないことを教えており、また別の道場の指導者は胡散臭い術を教えていたりと、余計な力を一切使わずに、でも敵も気が付かないうちに崩し詰めてしまう術から大きくかけ離れていて納得いきません。今まで大東流というものを見たことが無いので、何が本物で何が偽物か全く分かりません。そこで北海道に住んでおられる宗家という方に手紙を差し上げました。『大東流を稽古するには如何にしたら良いでしょうか?』と。

宗家という方に手紙を差し上げても、どこの馬の骨とも分からぬ私に返信など無いだろうとダメもとで差し上げたのですが、暫く経って宗家の方より電話が入りました。『近々そちらへ行くので、その折にお会いしましょう。』と。その時の驚きは今でもはっきりと覚えています。

宗家の方より指定のあった日時場所に赴くと、写真どおりの方が待っておられました。それからすぐに宿泊場所の部屋に移動し、改めて宗家の方から「私が大東流合氣武道の武田惣三郎源時宗です」とのご挨拶があり、私も名乗りました。わざわざ時間を作って会って頂いたことの感謝を申し上げると、時宗先生より質問がありました。「尾坂興市さんは、あなたの血縁の方ですか?」と。その尾坂興市という方と私の苗字は漢字も読みも全く同じですが、存じ上げません。そのことを正直に申し上げると、「尾坂という苗字は非常に珍しいので、てっきり血縁の方かと思いました。尾坂興市さんには父惣角も私も大変お世話になり、今私がこうやって大東流の宗家としていられるのも、この尾坂興市さんのお蔭と言っても過言ではないんです。同じ苗字の方より手紙が来ましたので、血縁の方と思いお会いしたくなったんです。」と仰られ、そこから時宗先生は大東流のこと、ご自分のことも含めて様々なことを話して下さいました。以前は警察官だったことを話された時、私の祖父も警察官だったことをお話ししたところ、時宗先生のお顔がさらに緩み、非常に親近感を持って頂きました。

そこで本来の目的である、『大東流を稽古するには如何にしたら良いか?』とお尋ねすると共に、稽古するに於いて、段位や肩書は全く必要なく興味もないことを申し上げたところ、思いもかけぬ答えが時宗先生の口より出てきました。

「では早速稽古しましょう。」

と。

時宗先生は仰いました。「大東流に於ける根幹は合氣上げです。ですから合氣上げの稽古を徹底的に行いましょう。私の両手首を掴んで、動かせないように押さえてご覧なさい。」と仰られるので、正座で向き合って座り、時宗先生の両手首を掴んだのですが、掴んだ瞬間『えっ?』という思いが走り、私の『押さえよう』という気持ちが飛んでしまいました。しかし私の身体には何も衝撃はありません。時宗先生は仰られました。「これが大東流の根幹の合氣上げです。」と。『私が捜していたものはこれだ!』と思いました。そして何度も時宗先生の両手首を掴み、合氣上げを掛けられました。時宗先生は笑顔で合氣上げを掛け続けているのですが、私がどんなに力で押さえ押さえ込もうとしてもその気持ちを外されてしまい、時宗先生の手は自由に動いています。今まで見学して回った大東流の道場の指導者とは、全く違います。すると時宗先生が「今度は自分でやってごらんなさい。」と仰り、私の両手首を掴まれました。出来る訳がありません。それでも何度も何度も時宗先生は私の両手首を掴まれ、私はうんうん言いながら汗をだらだら流しながら行いました。あっという間に六時間が経ってしまい、時宗先生は「〇〇日までここに宿泊しているので、〇〇時以降にいらっしゃい。」と仰られましたので、これ幸いと毎日出向きました。まずは姿勢と正座の稽古、そして膝行の稽古を行いました。次の日も姿勢と正座と膝行の稽古、その次の日も姿勢と正座と膝行の稽古に加えて合氣上げの稽古。そんな稽古が数日間続き、最終日の稽古後時宗先生が仰られました。「年に何回かはこちらに来なければなりませんので、その折には必ず連絡をしますからいらっしゃい。ただこのことは私が個人的にあなたに稽古を付けることですので、一切他言は無用です。約束して下さい。そして次回私が来るまでに〇〇の稽古を行って下さい。」と。約束は必ず守ることを申し上げ、宿題の稽古を毎日行いながらご連絡をお待ちすることにしました。

半年経たないうちに時宗先生から、「〇月〇〇日から〇〇日間この宿泊場所に滞在するので〇〇時以降にいらっしゃい。」とのご連絡があり、ご指示どおりにその期間中毎日赴き、稽古を付けて頂きました。そのほとんどが合氣上げの稽古と膝行の稽古です。時には手首を掴まれた際、胸捕りされた際、刃物で突かれた際等の術から応用の術まで何度も掛けて頂きました。現在一般に知られている中途半端な術とは違い、ちょっと間違えれば私の身体が壊れる非常にシビアな術でした。技の名称をお尋ねしたところ、「技の名前などどうでも良いんです。正しく出来るかどうかが大切なんです。」と時宗先生は笑顔で仰られました。そしてまた「次回来るまでにこの稽古を続けて下さい。」と宿題を出され、帰られました。

この様な稽古が八年程続きました。その後時宗先生は体調を崩され、「今後あなたに稽古を付けることが出来なくなってしまいました。申し訳ありません。でも既にあなたは合氣上げが出来るようになっていますし、大東流の理合があなたの身体にしっかりと染み込んでいますので、今のあなたなら、如何なる人間が襲ってきたとしても確実に大東流の術は遣えます。だから何も問題はありません。そして今まで私があなたに伝え教えてきたことを、本気で大東流を身に付けたいと思っている人には教授しても全く構いません。真の大東流を伝えて下さい。あなたは段位も肩書も必要なく興味もないとのことでしたので私は与えませんでしたが、その代わりに武名を与えます。今後は自分の稽古の意味で〇〇という道場に〇〇という人間がいますから、その人間から必要なものを盗むと良いでしょう。でもその道場の如何なる人間にも、私があなたに直接稽古を付けたことは一切他言無用ですよ!問題が起きてしまいますから。」と仰られ、時宗先生より武名を戴きました。

それから数年は一人で稽古を積み重ねていたのですが、時宗先生のご指示どおりに〇〇という道場に入り、積極的に〇〇という方に付いて盗むことを心掛け、そして時宗先生と約束した一切他言無用を守り通しました。その道場ではあくまでも新参者であり初心者ですから、何も知らない出来ないように誤魔化すことが大変でした。身体の遣いからばれないように、ひた隠すことに苦労しました。それが苦しくて苦しくて仕方が無かったのが正直なところです。が、もしかしたら〇〇という方は気付いていたかもしれません。〇〇という方も時宗先生の手を取って合氣上げ等を教わっており、私が時宗先生より伝えられた合氣上げと〇〇という方の合氣上げは全く同じで、それにより自ずと身体の遣いや術の遣いも同じになりますから、どんなに隠そうとしても見る人が見ればすぐに分かります。恐らく気付いていたのではないでしょうか。

時宗先生との事は『縁』としか言い様がありません。しかし、時宗先生と私との事は、大東流の正式な記録には全く残っていません。私はそれでも良いのです。私の心にあるだけで十分ですし、時宗先生より伝えられたことは、私の身体に染み込んでいますから。他の人には絶対に盗むことの出来ない、私だけの財産です。そして時宗先生との約束を守り、心の底から真の大東流を身に付けたいと願っている人にのみにお伝えするべく、一修行者として修行を積み重ねております。

 

因みに時宗先生から戴いた武名は

正宗

です。

武田惣角源正義の『正』の字と、武田惣三郎源時宗の『宗』の字を取り、また真の大東流を伝えたという意味も込めて 正宗 としたと仰られていました。

平成28年2月18日記